アスリートレポート

2016年10月 6日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 宿題と収穫のリオ(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第8回)

毎日新聞 2016年10月6日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 宿題と収穫のリオ=パラリンピック陸上・高桑早生

 私にとって2度目のパラリンピックだったリオデジャネイロ大会は、悔しさと収穫の両方を感じました。3種目に出場して100メートルは8位、200メートルは7位、そして走り幅跳びは5位。「やり切った」という思いはありますが、「このままでは終われない」と、2020年東京パラリンピックへの意欲も出てきました。

 走り幅跳びの記録は4メートル95が最高でした。指標にしていた5メートルに届かなかった原因を今になって考えてみると、パラリンピックの雰囲気にのまれていたのだと思います。5メートル83の世界記録で優勝したフランスのルフュール選手と英国の選手の一騎打ちになることは予想していて、3番手にどう食い込んでいくかを考えていましたが、助走から踏み切りまでのリズムが明らかに普段と違う。感覚を取り戻すことができず、自分を見失っていました。

 他の選手と並んで自分の記録を見た時に、まず感じたのは「見栄えがしないな」ということ。メダルを取れなかった結果だけでなく、5メートル台の記録が見えてこなかったことは「かっこよくない」と思ってしまいました。昨年の世界選手権では銅メダルを獲得しましたが、自分はまだ上位の選手とは渡り合えていません。競技は日本のテレビでも生中継されていたので、なおさらいい姿を見せたかった。日本に帰ってきて、「見たよ」と言われた時にその思いが強くなりました。

 最も力を入れている100メートルでは、予選で13秒43のアジア記録を出すことができました。13秒59の自己ベストを更新しましたが、決勝では順位を上げることができませんでした。好記録を出したことに自信をつかみましたが、「もっと記録を伸ばせる」とテンションも上がってしまった。気持ちばかりが先走ったのだと思います。

 しばらく走りたくない。大会を終え、そういう感覚に襲われたのは初めてです。競技を離れたいのではなく、今はゆっくりとリオでの日々を振り返りたい。時間の経過とともに体力は衰えます。4年間準備するしんどさを経験した分、クールダウンの必要性も感じています。すべては、東京で最高の自分を表現するためです。

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 ■人物略歴

 ◇たかくわ・さき

 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。24歳。

2016年6月27日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 新たな自分で挑むリオ(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第7回)

毎日新聞 2016年6月27日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 新たな自分で挑むリオ=パラリンピック陸上・高桑早生

昨年6月にこのコラムを始めたとき、「100メートルを13秒5台で走ること」を目標に立てました。達成したのは、4月30日に鳥取市であった日本パラ陸上選手権です。13秒59のアジア記録をマークしました。昨年中に記録を更新するつもりだったので「時間がかかってしまったな」というのが正直な思いですが、シーズン最初の大会で自己ベストを出すことはあまりなかったので、その点は自信になりました。


 昨年から本格的に取り組むようになった幅跳びは、当初の目標だった5メートルの跳躍は安定して記録するようになりました。ただ、昨年10月の世界選手権で銅メダルを獲得してからは、結果を求められるという意味でも「後戻りできないところまで来た」という気持ちにもなっています。何より、リオデジャネイロ・パラリンピックには走り幅跳びで代表の推薦をもらっています。自分の専門は短距離という意識から、幅跳びに関しては深く考えないようにしていましたが、やはりそれではダメだなと思い直しました。

 走り幅跳びに関してはスタート直後の速度を上げることと、最後に踏み切るときのリズムをかみ合わせることが必要だと感じています。国内には第一人者の中西麻耶選手がいます。走り幅跳びの方がリオではメダルに近いと言われるのであれば、麻耶さんに勝たないといけません。昨年の世界選手権のように、私には本番で記録に恵まれることがあります。そういう運も大切にしていきたいですね。

 国別に割り当てられる代表枠の関係でまだ正式には決まっていませんが、出場を前提に考えれば、リオは「アスリート・高桑早生」にとっては初めてのパラリンピックになります。

 陸上に関する知識は明らかに多くなったし、それを使いこなす技術は初出場した2012年ロンドン・パラリンピックの時より成長しています。4年前と今では、自分は別人。サポートしてくれた人たちの思いも乗せて、つるんと一皮むけた新しい私で挑めると思っています。
     ◇
 リオ・パラリンピックに向け、競技に専念できるように高桑選手の「アスリート交差点」は今回で大会前は最後になります。10月に再開します。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。24歳。

2016年5月 2日

高桑早生、100mアジア新記録を樹立!

4月30日(土)、5月1日(日)の2日間に渡って鳥取で開催された、第27回日本パラ陸上競技選手権大会 兼 リオ2016パラリンピック選手選考会。エイベックス・チャレンジド・アスリートからは木山由加選手、高桑早生選手の2人が出場。高桑選手は100mで13秒59のアジア新記録を樹立しました。

両日とも快晴に恵まれたコカ・コーラウエストスポーツパーク。大会1日目は木山選手が100m、400m、高桑選手が100mに出場しました。4月に大分で400m自己ベストを更新した木山選手は、2レースをまずまずのタイムで走ります。高桑選手はこの日100mのみの出走。アジア新記録樹立に会場からは驚きの声と拍手が起こりました。2日目は高桑選手が200m、走幅跳に出場。走幅跳では5mを超える跳躍を見せましたが、残念ながら追い風参考記録となりました。

両選手は6月4日(土)、5日(日)に新潟で開催されるジャパンパラ陸上にも出場予定。その前に、木山選手はアメリカ遠征、高桑選手は5月8日(日)のセイコーゴールデングランプリ陸上2016川崎にオープン出場します。引き続きのご声援、よろしくお願い致します!

【記録】
木山由加
100m:2位 26秒47
400m:2位 1分25秒35

高桑早生
100m:1位 13秒59(アジア新記録)
200m:1位 29秒31
走幅跳:2位 5m13

高桑早生、100mアジア新記録を樹立!
アジア新記録を叩きだした100mの高桑選手

高桑早生、100mアジア新記録を樹立!
参考記録となったが5m超えを記録

高桑早生、100mアジア新記録を樹立!
100mの木山選手

高桑早生、100mアジア新記録を樹立!
400mのスタート直前、気持ちを集中させる

2016年4月21日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 未来を開いた一冊(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第6回)

毎日新聞 2016年4月21日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 未来を開いた一冊=パラリンピック陸上・高桑早生

 30日から鳥取市で日本パラ陸上選手権が行われます。出場を目指すリオデジャネイロ・パラリンピックに向け、6月まで選考レースが続きますが、今回も私とパラ陸上との出合いについて話をしたいと思います。影響を受けたのは、2020年東京五輪・パラリンピックの招致演説をした佐藤真海さんの著書「ラッキーガール」です。骨肉腫で左脚の切断手術を受け、入院していた中学1年生の時でした。
 当時の病棟には、私と同じ病気にかかった同年代の子どもたちが集まっていました。私より先に入院していた女の子の母親が持っていたのが、やはり骨肉腫にかかって膝下を切断した佐藤さんの本。私の母も含め、子どもの病気について親同士で相談していて、紹介されました。本には治療の詳細なども書いてあるので、母としては落ち着くまで私には読ませたくなかったみたいです。でも、切断の手術を終えて体を起こせるようになった時に母のかばんの中に本が入っているのを見つけてしまって......。母は最初ごまかしていたんですけど、私は読み進めてしまったのです。
 内容もさることながら、私が引かれたのは本の表紙。佐藤さんが跳んでいる写真が載っているものでした。膝下からが義足の女性を見たのは初めてで「私もこういうふうになるんだな」というイメージがわいてきたのを覚えています。佐藤さんの闘病生活のことも書いてあり、その点も心の準備につながりました。抗がん剤の影響で髪の毛が抜けた時も「やっぱり私にも来たんだ」と、それほど動揺はしませんでした。いろいろな意味であの時に読んでよかったと思っています。病室だから携帯電話もインターネットも使うことができない。本の中にあった佐藤さんの姿が私の最初の希望となり、その瞬間から未来が開けてきました。
 「義足ですが、一緒に練習してもいいですか」。高校の陸上部に入る際にそう尋ねた一言が私の始まりでした。周囲の受け止めは「練習しなよ」と自然なものでした。同級生とトレーニングすることによって陸上での目標も見えてきました。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

2016年2月20日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 世界広げてくれた義足(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第5回)

毎日新聞 2016年2月20日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 世界広げてくれた義足=パラリンピック陸上・高桑早生

 もともと両親がテニスをやっていたこともあり、スポーツは好きでした。本格的にテニスを習い始めたのは小学4年。当時、父の転勤で生活をしていたシンガポールではマンションの敷地にコートがあり、テニスが身近だったことも大きかったです。帰国後もスクールに通い、「これから先、ずっとテニスと関わっていくんだろうな」と思っていました。
 左足に骨肉腫の兆候が出たのは、小学6年の秋。体育の授業の直後に足首の内側にじわっと来る痛みを感じました。「どこかひねったかな」という程度のものです。その後に腫瘍があることが分かり、その年の12月に最初の手術を受けました。腫瘍を取り除けば骨が再生すると言われていましたが、一向に骨ができない。中学1年の5月には再び入院生活に入ると、3回目の手術でがん細胞が見つかり、4回目の手術で左脚膝下を切断しました。2005年6月13日、月曜日のことです。
 主治医の先生からは切断以外に、患部を取り除いて足を残す方法を示されました。ただ、先生は私がスポーツが好きだということを知っていたので、「義足も良いものができている。切断してもまたスポーツができる」という話をしてくれました。命に関わる病状だと受け入れるのに精いっぱいだった中でも、ふとスポーツをすることが頭に浮かんだ。信頼する先生の言葉を信じ、自分の世界も広がると思い、切断をお願いしました。
 手術が終わって間もなく、義足を装着しました。入院してからは車いすで生活をしていたので装着したときは「地面に足をつけると、目線ってこんなに高かったんだ」と、自分の身長を初めて感じました。歩行訓練は1週間かかると言われましたが私は義足をもらってすぐに歩けてしまった。周囲が心配なく見ていられるような歩行になるまでは1年近くかかりました。
 中学ではソフトテニス部に入っていたので、退院後もとにかくテニスにかじりつきました。高校に進学して新しいことを始めてみようと考えた時に思い出したのが、中学2年の終わりに紹介された切断者の陸上チーム「ヘルスエンジェルス」。私自身、走ることもすごく好きだったことが陸上に取り組むきっかけとなりました。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

2016年1月 6日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 原点に戻り走り込む(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第4回)

毎日新聞 2015年12月25日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 原点に戻り走り込む=パラリンピック陸上・高桑早生

 ドーハで10月に行われた国際パラリンピック委員会(IPC)世界選手権では、走り幅跳びで銅メダルを獲得しました。目標としていた5メートル台(5メートル09)の記録を出し、跳躍競技ではこれまで漠然としていた好成績への思いが「メダルを取りに行こうと思えば取れる」と、輪郭がはっきりしてきたように感じています。一方で、100メートル、200メートルの短距離種目では決勝に進めませんでした。この冬の取り組み方に対する意識の変化を与えた大会でもありました。
 走り幅跳びにも課題はまだあります。踏み切るときは義足である左を使うのですが、その後の滞空時間が短いということです。長く跳ぶためには、反対側の右の健足(義足をつけていない方の足)を振り上げる必要があります。そうすることによって、斜め上に飛び出すようなイメージになる。この感覚をつかむためには、何度も踏み切りの練習をして体に覚え込ませる必要があります。
 改善点がありながら幅跳びに手応えをつかんではいますが、私のアイデンティティーは走ることにありますし、それは変わりません。短距離に次ぐ位置づけだった幅跳びの記録が伸びているのは、自然な流れ。競技に相関性はありますが、取り組み方の時間軸が違う。そう考えると、幅跳びもいつか記録が伸びなくなる時期が来ます。ジャンパーに転向しようという考えにならないのは、幅跳びがうまくいったことによって、短距離に対するこだわりが増したからでもあります。
 この冬はもう一度、自分の原点に立ち返ることにしました。やはり、いっぱい走り込むことに尽きます。リオデジャネイロ・パラリンピックは来年。持ち味である力強い走りをもっときめ細かく磨いていく必要があるのかもしれませんが、基礎の部分を高めていくと考えれば不安はありません。
 結果を残しても、悩みが残る。そういう意味では競技者としてレベルアップしたのかなとも感じます。コラムのタイトルにあるように「楽しい」から競技をする気持ちに変わりはありませんが、ようやく自分の立ち位置が理解できた。リオを前に、非常に大切なことに気づいたように思います。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

2015年10月25日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 舞台は海外、経験値上げ(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第3回)

毎日新聞 2015年10月23日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 舞台は海外、経験値上げ=パラリンピック陸上・高桑早生

 22日からドーハで行われている国際パラリンピック委員会(IPC)世界選手権に出場しています。100メートル▽200メートル▽走り幅跳び――が出場種目ですが、自分の記録や世界ランキングが上がるにつれてメダルという目標がはっきりしたものになっている気がしています。
 世界選手権を前に、スタートに関しては以前にも増して意識を向けるようになりました。私自身、短距離の中で一番難しい動きはスタートだと感じていて、こだわって練習していた時期もあります。言葉にするのは難しいのですが、義足の選手は利き足に関係なく、大体義足を後ろにして、健足(義足をつけていない方の足)を前にします。義足が後ろだとセットしやすく、スタートブロックも確実に蹴ることができます。「スタートが遅い」と言われる義足の選手が早く飛び出すことができれば有利――。初めは単純な考えで強化を始め、初出場した2012年ロンドン・パラリンピック前から取り組み始めました。
 結果としてスタートに関しては自信を持ちましたが、今度は「加速」に重点的に取り組むようになると、走り出しの動きがおろそかになってしまいました。効果的に加速するためにも、まずスタートの動きが重要。ブロックを蹴る動きがうまくいっていなかったことに気づき、今夏からもう一度「原点」に立ち返っています。
 グランプリファイナルがあった7月のロンドン、今回のドーハと国際大会が続いています。本格的に海外のレースに出るようになったのは大学生になってからですが、記録の伸びに比例して出場機会も増えています。海外の選手も私の顔を覚えてくれるようになって、会話も少しずつできるようになりました。身ぶり手ぶりを使い、その場の乗りで英語を話す感じではありますが。
 ロンドンのレースでは、ほぼ同年代のオランダ選手が調子が悪そうだと感じて勇気を出して話しかけてみたら、「ケガをした。あなたも気をつけてね」と声をかけられました。部活で同学年の子としていたような会話ができたのはすごく大きなことで、海外の選手の動きが「いつもと違う」と感じることができたのも、経験値が上がった証拠かなと感じています。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

2015年10月11日

高桑早生、トークショー&ふれあい短距離走教室に出演!

エイベックス・チャレンジド・アスリートの高桑早生選手が、10月11日(日)に東京お台場のパナソニックセンター東京で開催された『第8回パナソニックセンター東京福祉イベント 2020年へ向かって「レッツ・チャレンジ!」~障がいがあっても、ぼくらの未来は無限大∞~ トークショー&ふれあい短距離走教室』に出演。親子連れを中心とした約70人の参加者と、約2時間に渡るふれあいの時間を楽しみました。

第1部のトークショーでは、義足を使うようになった経緯や陸上を始めたきっかけ、競技にまつわるエピソードなどを披露。自らの体験を基に「夢を持つことはもちろん大事だが、夢が目標に変わる瞬間がより大切」と、目標設定の重要さを伝えました。

第2部はふれあい短距離教室。まず全員で輪になってゲームを行い緊張をほぐすと、両腕を大きく回しながらのスキップなど、自らが試合前に行うこともある動きを実際に体験してもらいます。走るという動作には、全身の様々な筋肉が関係していることを伝えると、感心した表情を見せる参加者の姿もありました。

イベントの最後に行われた記念撮影では長蛇の列ができる人気を見せた高桑選手。競技者としての彼女には、IPC陸上世界選手権(10月22日(木)から31日(土)までカタールのドーハで開催)という大きな挑戦が待ち受けています。様々なシーンで活躍する高桑選手へ、熱いご声援をよろしくお願い致します!

高桑早生、トークショー&ふれあい短距離走教室に出演!
第1部はステージから参加者に語りかけた

高桑早生、トークショー&ふれあい短距離走教室に出演!
生活用義足から競技用義足へ付け替える場面も

高桑早生、トークショー&ふれあい短距離走教室に出演!
第2部では参加者と一緒に体を動かす

高桑早生、トークショー&ふれあい短距離走教室に出演!
リレーにチャレンジする参加者を見守る高桑選手

2015年9月 3日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 「幅跳び」にも欲が出た(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第2回)

毎日新聞 2015年8月25日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 「幅跳び」にも欲が出た=パラリンピック陸上・高桑早生

 7月末にロンドンで国際パラリンピック委員会(IPC)陸上グランプリファイナルがあり、走り幅跳びで銅メダルを獲得しました。大きな国際大会でのメダルは初めてです。私の中で幅跳びは、100メートル、200メートルに次ぐ「3番目」の競技という位置づけ。短距離種目をやっていてスピードはついているので、踏み切りと勢いが良ければいい記録が出るとは思っていましたが、正直びっくりです。
 今回の大会を通じて、幅跳びでも「欲」が出てきました。記録は4メートル56でしたが、もう少しで銀メダルも取れたと思うので、「こうしておけば......」という反省もあります。目標が高くなるのは当然のことだと思うし、5メートルもいずれ到達できる現実的な数字になりました。走る方で活躍したいという気持ちは今も強いですが、幅跳びでも取り組み方に変化が起きました。
 グランプリファイナルの会場は、五輪スタジアム。足を運ぶのは、初出場した2012年パラリンピック以来でした。今回の大会でもたくさんのお客さんが来てくれて、当時をほうふつさせました。選手同士でも「パラリンピックを思い出すね」と会話を交わしていました。
 ロンドンに行って感じたのは、現地の人たちの五輪スタジアムに対する「思い」です。障害者アスリートのパフォーマンスを楽しみにしてくれているのと同時に、ロンドンの人たちはあのスタジアムに行きたいと思っている。当時の雰囲気をうまく引き継いでいて、みんな楽しそうにしていて。「これがレガシー(遺産)なのかな」と感じました。日本でも20年東京五輪・パラリンピックが終わった後も多くの人が「行きたいな」と思える競技場ができてほしいですね。
 来年9月のリオデジャネイロ・パラリンピックまで1年近くになりました。あと1年で何ができるかがすべてだと思っています。私には残りの時間で経験をさらに積み重ねることができるという手応えがあります。そして、ロンドンの頃の新鮮な気持ち、挑戦者精神を忘れずにいたいと思っています。もしかしたら、リオが私にとって本当のパラリンピックになるのかもしれません。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

2015年9月 3日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 走る面白さ知ってほしい(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第1回)

毎日新聞 2015年6月18日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 走る面白さ知ってほしい=パラリンピック陸上・高桑早生

 来年のリオデジャネイロ・パラリンピック出場を目指して、4月に新社会人になりました。現在は会社の広報課に配属され、競技に集中できる環境も整えてもらいました。大学では4年間、同じリズムで練習をしてきて、環境が変化することになりましたが「仕事は仕事、競技は競技」と切り替えるよう心がけています。仕事を覚えることに必死ですが、新たな刺激も入ってきて世界が広がったように感じます。
 私がこうしてメディアにできるだけ出ようと思うのは、障害者陸上の存在を多くの人に知ってほしいから。特に障害を持つ子供たちには、私の姿を見て「こういう世界があるんだ」と興味を持ってもらいたいです。本格的に競技を始めたのは高校に進学してからですが、「面白そう」と思ったのがきっかけでした。一つのスポーツをずっとやり続けるのは大変なことだけれど、始めることに難しさを感じる必要はない。少しでも「楽しいな」と思えば先に進んでみればいいのです。
 メディアに出る機会が増えることで期待も大きくなるとは思います。それに無理なく応えられるようにしたいです。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックを振り返ると、当時の私としては最大限の力を発揮できましたが、ただ一生懸命走っていただけでした。リオに向け、今はどんな練習の時でも「100メートルを走る時にはどうするか」「200メートルの時にはどうか」と、技術的な面を考えるようになりました。
 現在の具体的な目標は、100メートルを13秒5で走ること。これは自己ベスト(日本記録の13秒69)を更新することでもあり、絶対今年中に達成しないといけないラインだと思っています。歩数を多くするピッチ走法と、歩幅を大きくするストライド走法。相反する動きですが、二つのバランスを取ることが最大の課題です。
 「自己ベストを出さなきゃ」というよりも、「出せる」。心の底から良いタイムを残したいと思っているし、自信もあるので重圧には感じていません。13秒5を記録すれば、もう一段階上に行けると信じています。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。東京成徳大深谷高で本格的に陸上を始めて、慶大2年で初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上女子100メートル、200メートルともに7位。4月からエイベックス所属。23歳。

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