アスリートレポート

2016年2月20日

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 世界広げてくれた義足(高桑早生 毎日新聞掲載コラム第5回)

毎日新聞 2016年2月20日掲載

アスリート交差点:「楽しい」が原動力 世界広げてくれた義足=パラリンピック陸上・高桑早生

 もともと両親がテニスをやっていたこともあり、スポーツは好きでした。本格的にテニスを習い始めたのは小学4年。当時、父の転勤で生活をしていたシンガポールではマンションの敷地にコートがあり、テニスが身近だったことも大きかったです。帰国後もスクールに通い、「これから先、ずっとテニスと関わっていくんだろうな」と思っていました。
 左足に骨肉腫の兆候が出たのは、小学6年の秋。体育の授業の直後に足首の内側にじわっと来る痛みを感じました。「どこかひねったかな」という程度のものです。その後に腫瘍があることが分かり、その年の12月に最初の手術を受けました。腫瘍を取り除けば骨が再生すると言われていましたが、一向に骨ができない。中学1年の5月には再び入院生活に入ると、3回目の手術でがん細胞が見つかり、4回目の手術で左脚膝下を切断しました。2005年6月13日、月曜日のことです。
 主治医の先生からは切断以外に、患部を取り除いて足を残す方法を示されました。ただ、先生は私がスポーツが好きだということを知っていたので、「義足も良いものができている。切断してもまたスポーツができる」という話をしてくれました。命に関わる病状だと受け入れるのに精いっぱいだった中でも、ふとスポーツをすることが頭に浮かんだ。信頼する先生の言葉を信じ、自分の世界も広がると思い、切断をお願いしました。
 手術が終わって間もなく、義足を装着しました。入院してからは車いすで生活をしていたので装着したときは「地面に足をつけると、目線ってこんなに高かったんだ」と、自分の身長を初めて感じました。歩行訓練は1週間かかると言われましたが私は義足をもらってすぐに歩けてしまった。周囲が心配なく見ていられるような歩行になるまでは1年近くかかりました。
 中学ではソフトテニス部に入っていたので、退院後もとにかくテニスにかじりつきました。高校に進学して新しいことを始めてみようと考えた時に思い出したのが、中学2年の終わりに紹介された切断者の陸上チーム「ヘルスエンジェルス」。私自身、走ることもすごく好きだったことが陸上に取り組むきっかけとなりました。
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 ■人物略歴
 ◇たかくわ・さき
 埼玉県熊谷市出身。小学6年で骨肉腫を発症し、中学1年で左脚膝下を切断した。初出場した2012年ロンドン・パラリンピックで陸上100メートル、200メートルともに7位。エイベックス所属。23歳。

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